音羽川せき入れて落とす滝つ瀬に
人の心の見えもするかな
- 歌の意味
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音羽川の水をせき入れて落としている滝の流れに、これを造った人の心のほどが見えることだ。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 445
詞書「権中納言敦忠が西坂本の山荘の滝の岩に書き付け侍りける」
音羽川の水をせき入れて落とす滝の流れに、それを造った人の心のほどが見えると詠む歌である。詞書から、藤原敦忠の西坂本の山荘で、滝の岩に書き付けた歌とわかる。川の水を引き入れて滝を造った主人の風流な心ばえを、滝の流れの中に見て取り、称えている。ここから本巻の第四百四十九首まで滝の歌が続き、次歌の第四百四十六首は同じ山荘で作者の娘の中務が詠んだ歌である。
作者の「伊勢」は、平安時代前期から中期の女流歌人で、藤原継蔭の娘である。宇多天皇の中宮温子に仕え、中務の母となった。三十六歌仙に数えられる。
敦忠は藤原時平の子で、三十六歌仙の一人である。西坂本は比叡山の西の麓をいい、音羽川はそこを流れる川である。
初句「音羽川」は、比叡山の西麓を流れる川の名である。
二句「せき入れて落とす」は、せき止めて庭に引き入れ、落としている、の意で、八音の字余りである。人の手で滝を造った様子をいう。
三句「滝つ瀬に」は、滝となって激しく流れる所に、の意である。
四句「人の心の」は、滝を造った人の心が、の意で、主人である敦忠の心ばえを指している。
結句「見えもするかな」は、見えもすることよ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。滝の水の澄んだ流れに主人の心を見るという趣向である。
せきいる:水をせき止めて引き入れる
たきつせ:滝となって激しく流れる瀬
- 作者
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伊勢
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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ほどもなく泉ばかりに沈む身は いかなる罪の深きなるらん
- 次の歌
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君がくる宿に絶えせぬ滝の糸 はへて見まほしき物にぞ有りける