ほどもなく泉ばかりに沈む身は
いかなる罪の深きなるらん
- 歌の意味
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さほどの深さもない泉ほどの所に沈んでいる我が身は、いったいどのような罪が深いからなのだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 444
詞書「円融院の御時、御屏風歌奉りけるついでに添へて奉りける」
深くもない泉ほどの所に沈んでいる我が身は、どのような罪が深いからなのだろうかと詠む歌である。詞書から、円融院の御代に屏風歌を献上した折、それに添えて奉った歌とわかる。泉の浅さと罪の深さとを対比させ、低い地位に沈んだままの不遇を天皇に訴えている。前歌の第四百四十三首の「深くは身を沈む」を受け、同じく沈む身の嘆きを詠んでいる。
作者の「したがふ」は源順である。嵯峨源氏の出で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わった。和名類聚抄を著し、三十六歌仙に数えられる。和泉守を務めたことがあり、「泉」に和泉国を重ねて読む説もある。
初句「ほどもなく」は、さほどの程度もなく、の意で、ここでは泉の深さがないことをいう。
二句「泉ばかりに」は、泉ほどの所に、の意で、浅い水の泉に低い地位をたとえている。
三句「沈む身は」は、沈んでいる我が身は、の意で、第四百四十一首から続く「沈む」の語を重ねている。
四句「いかなる罪の」は、どのような罪が、の意で、不遇の理由を前世の罪の深さに求めている。
結句「深きなるらん」は、深いからなのだろうか、の意で、「らん」は原因を推量する助動詞である。泉の浅さに対して罪の深さを置き、浅い深いの対比で結んでいる。
ほど:程度。ここでは水の深さ
びやうぶうた:屏風の絵に合わせて詠み、色紙形に書き付けた歌
- 作者
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源順
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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年ごとに絶えぬ渡やつもりつつ いとど深くは身を沈むらん
- 次の歌
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音羽川せき入れて落とす滝つ瀬に 人の心の見えもするかな