小山田の水ならなくにかくばかり
流れそめては絶えんものかは
- 歌の意味
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すぐに涸れる小山田の水ではないのだから、これほどまでに流れはじめたからには、絶えることなどあろうか。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1010
詞書「忍びたる女のもとより、などか音もせぬと申したりければ」
山あいの田の水ではないのだから、これほど流れはじめては絶えることがあろうか、と詠んだ歌である。涸れやすい小山田の水と違い、いったん流れ出した自分の思いは絶えることはないと答え、相手を安心させようとしている。
詞書によれば、人目を忍んで通っていた女から、どうして便りもくださらないのかと言ってきたので詠んだ歌である。本巻の第千十三首の飛鳥河や第千五十九首の絶えず流るる水も、流れる水に寄せて恋の絶えないことを詠んでいる。
作者の「右大臣」は藤原師輔である。関白藤原忠平の次男で、右大臣に至った。娘の安子が村上天皇の中宮となり、子孫は摂関家として栄えた。九条殿と呼ばれ、日記「九暦」を残している。
初句「小山田の」は、山あいの小さな田の、の意で、「小」は接頭語である。
二句「水ならなくに」は、水ではないのに、の意で、「なくに」は打消しに詠嘆を込めて逆接を表す。小山田に引く水が涸れやすいことを踏まえている。
三句「かくばかり」は、これほどまで、の意である。
四句「流れそめては」は、流れはじめたからには、の意で、恋の思いがあふれ出したことを水の流れにたとえている。
結句「絶えんものかは」は、絶えることがあろうか、いや絶えはしない、の意で、「かは」は反語を表す。水の縁で「絶え」を用いている。
をやまだ:山あいの小さな田
- 作者
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藤原師輔
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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狩人の尋ぬる鹿はいなび野に 逢はでのみこそあらまほしけれ
- 次の歌
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月にだに待つほど多く過ぎぬれば 雨もよに来じと思ほゆるかな