濁りゆく水には影の見えばこそ
あしまよふえをとどめても見め
- 歌の意味
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濁っていく水にも姿が映って見えるのならば、葦の乱れる入江にとどめるように、この笛を手もとにとどめても見ようが。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1023
詞書「等離れがたになり侍りにければ、とどめ置きたる笛をつかはすとて」
濁っていく水に姿が映るのなら、葦の乱れる江に笛をとどめておいても見ようが、と詠んだ歌である。心が濁って面影も見えなくなった相手の形見として、笛を手もとに置いても意味がないと、笛を返す思いを詠んでいる。
詞書によれば、源等が通って来なくなったので、預かっていた笛を返すときに詠んだ歌である。前歌の第千二十二首では恨む側であった源等が、本歌では去っていく側に回っており、恨む立場と恨まれる立場が反転した形で続けて置かれている。前歌の住の江、難波と水辺の景物を共有している。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「濁りゆく」は、しだいに濁っていく、の意で、移ろっていく相手の心をたとえている。
二句「水には影の」は、水には姿が、の意で、相手の面影や誠意を水に映る影にたとえている。
三句「見えばこそ」は、見えるのならば、の意で、「こそ」は強めの係助詞で、結句の已然形「め」で結ぶ係り結びとなっている。
四句「あしまよふえを」は、葦の乱れる入江を、の意で、「ふえ」に入江の「江」と「笛」を掛けている。前歌の住の江、難波の水辺と響き合っている。
結句「とどめても見め」は、とどめておいて見もしよう、の意で、「め」は意志の助動詞「む」の已然形である。そうはならないという含みをもち、実際には笛を返すことを言っている。
ふえ:笛と、入江の江を掛ける
かれがた:男女の仲が離れかかる頃
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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我ならぬ人すみの江の岸に出でて 難波のかたをうらみつるかな
- 次の歌
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菅原や伏見の里の荒れしより 通ひし人の跡も絶えにき