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飛鳥河せきてとどむるものならば
淵瀬になるとなどか言はれん

歌の意味
飛鳥川の流れをせき止めてとどめられるものならば、淵が瀬になるなどと、どうして言われることがあろうか。
鑑賞
巻第十四 恋歌六 1067

詞書「定まらぬ心ありと女の言ひたりければ、つかはしける」
 飛鳥川をせき止めてとどめられるものなら、淵が瀬になるとどうして言われようか、と詠んだ歌である。移ろいやすいとされる飛鳥川も、流れをせき止める者があれば変わることはないとし、心が定まらないのは自分を引き留めてくれないあなたのせいだと切り返している。
 詞書によれば、定まらない心があると女に言われたので送った歌である。本巻の第千十三首も、定めない心だと言われて飛鳥河を詠んでおり、同じ趣向の歌が巻の前半と後半に呼応して置かれている。古今和歌集雑歌下の「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」を踏まえている。
 作者の「贈太政大臣」は藤原時平である。藤原基経の長男で、左大臣に至り、没後に太政大臣を贈られたためこう呼ばれる。菅原道真を大宰府に左遷したことで知られる。

 初句「飛鳥河」は、大和国の飛鳥川のことで、淵と瀬が移り変わることから、変わりやすいもののたとえとされる。本巻の第千十三首の初句と同じである。
 二句「せきてとどむる」は、せき止めてとどめる、の意で、相手が自分を引き留めることをたとえている。
 三句「ものならば」は、ものであるならば、の意である。
 四句「淵瀬になると」は、淵が瀬になると、の意で、古歌の「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」を踏まえている。本巻の第千二十七首の二句にも「淵瀬」が詠まれている。
 結句「などか言はれん」は、どうして言われようか、の意で、「などか」は反語を表し、連体形「ん」で結んでいる。

ふちせ:川の深い所の淵と、浅い所の瀬
せく:水の流れをせき止める
作者
藤原時平
出典
後撰和歌集
前の歌
世の中になほありあけの月なくて 闇に迷ふを訪はぬつらしな
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身をつめばあはれとぞ思ふ初雪の ふりぬることも誰に言はまし