逢坂のゆふつけに鳴く鳥の音を
聞きとがめずぞ行き過ぎにける
- 歌の意味
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逢坂の関で木綿付け鳥が鳴く声を、聞きとがめることもなく、あなたは行き過ぎてしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌二 1126
詞書「病し侍りて、近江の関寺に籠りて侍りけるに、前の道より閑院のご、石山にまうでけるを、ただ今なん行き過ぎぬると人の告げ侍りければ、追ひてつかはしける」
逢坂の木綿付け鳥の鳴く声を聞きとがめることもなく、あなたは行き過ぎてしまった、と詠んだ歌である。関寺に籠る自分を逢坂の関の鶏になぞらえ、すぐそばを通りながら立ち寄らなかった人への恨めしさを、軽い戯れをこめて伝えている。
詞書によれば、病を得て近江の関寺に籠っていた時、前の道を閑院の御が石山寺に参詣して通り、たった今行き過ぎたと人が告げたので、追いかけて送った歌である。閑院の御は延喜のころの女房で、本巻の第千百三十首、第千百七十五首の作者閑院と同じ人とみられる。
作者の「としゆきの朝臣」は藤原敏行である。藤原富士麿の子で、右兵衛督に至った。能書家として知られ、三十六歌仙の一人に数えられる。小倉百人一首には「住の江の岸に寄る波よるさへや」の歌が採られている。
初句「逢坂の」は、逢坂の関の、の意で、関寺のある逢坂山の地である。「逢ふ」の名を持つ地で、逢えずに行き過ぎられたことを際立たせている。
二句「ゆふつけに鳴く」は、木綿付け鳥として鳴く、の意で、逢坂の関で鳴く鶏を指している。
三句「鳥の音を」は、鳥の声を、の意で、関寺に籠って病む自分の声をたとえている。
四句「聞きとがめずぞ」は、気にとめて聞くこともなく、の意で、「ぞ」は強意の係助詞で、結句の連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。
結句「行き過ぎにける」は、行き過ぎてしまったことだ、の意で、四句の「ぞ」を受けて結んでいる。詞書の「行き過ぎぬる」という知らせをそのまま歌に取り込んでいる。
ゆふつけどり:鶏の異名。逢坂の関と結びつけて詠まれた
ききとがむ:聞いて気にとめる
せきでら:近江国逢坂にあった寺
まうづ:寺社に参詣する
- 作者
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藤原敏行
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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頼まれぬ憂き世の中を嘆きつつ 日陰に生ふる身をいかにせん
- 次の歌
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み山より響き聞こゆるひぐらしの 声を恋しみ今も消ぬべし