大荒木の森の草とやなりにけむ
かりにだに来て問ふ人のなき
- 歌の意味
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私は大荒木の森の草となってしまったのだろうか。草を刈りに来るように、かりそめにさえ訪ねて来る人もいない。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌二 1178
詞書「いとまにて籠りゐて侍りけるころ、人の問はず侍りければ」
大荒木の森の草となってしまったのか、かりそめにさえ訪ねて来る人もいない、と詠んだ歌である。官を休んで家に籠っている身を、刈る人もなく老いた大荒木の森の草になぞらえ、誰も訪れない寂しさを嘆いている。
詞書によれば、休暇で家に籠っていたころ、誰も訪ねて来なかったので詠んだ歌である。古今和歌集の「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」を踏まえている。
作者の壬生忠岑は、古今和歌集の撰者の一人で、三十六歌仙に数えられる。小倉百人一首には「有明のつれなく見えし別れより」の歌が採られている。
初句「大荒木の」は、大荒木の森の、の意で、字余りとなっている。大荒木の森は山城国の歌枕とされる。本巻の第千百八十六首の三句にも「大荒木の」が詠まれている。
二句「森の草とや」は、森の草と、の意で、「や」は疑問の係助詞で、三句の連体形「けむ」で結ぶ係り結びとなっている。
三句「なりにけむ」は、なってしまったのだろうか、の意で、二句の「や」を受けて結んでいる。ここで句切れとなる。
四句「かりにだに来て」は、かりそめにさえ来て、の意で、「かり」に草を「刈り」に来る意と、「仮」すなわちかりそめの意を掛けている。
結句「問ふ人のなき」は、訪ねる人もいないことよ、の意で、連体形で結んで詠嘆を表している。
おほあらきのもり:山城国の歌枕とされる森
かり:草を刈る意と、かりそめの意の「仮」を掛ける
いとま:休暇
- 作者
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壬生忠岑
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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武蔵野は袖ひつばかり分けしかど 若紫は尋ねわびにき
- 次の歌
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あはれてふ事こそ常の口の端に かかるや人を思ふなるらん