世の中を厭ひがてらに来しかども
憂き身ながらの山にぞありける
- 歌の意味
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世の中を厭うついでにここまで来たのだが、つらいこの身のままで、長等の山にいるのであった。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌三 1233
詞書「思ふ事侍りけるころ、志賀にまうでて」
世の中を厭うついでに来たが、憂き身のままで長等の山にいるのだった、と詠んだ歌である。「長等」と「ながら」を掛け、世を逃れようと山寺に来ても、つらい身は変わらないと嘆いている。
詞書によれば、思い悩むことがあったころ、志賀の寺に参詣して詠んだ歌である。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。原文の作者表記は「よみ人も」とあるが、ここでは「よみ人しらず」として扱う。
初句「世の中を」は、世の中を、の意である。
二句「厭ひがてらに」は、厭うついでに、の意で、「がてら」は、ついでに、の意を表す。
三句「来しかども」は、来たけれども、の意で、「ども」は逆接を表す。
四句「憂き身ながらの」の「ながら」は、「〜のまま」の意と、近江の国の「長等山」を掛けた掛詞である。
結句「山にぞありける」は、山にいるのであった、の意で、「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。本巻の第千百九十七首、第千二百一首の結句「ものにぞありける」と同じ型の結びである。
ながら:「〜のまま」の意と、近江の国の「長等山」を掛ける
いとふ:嫌って避ける
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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飛鳥川我が身ひとつの淵瀬ゆゑ なべての世をも恨みつるかな
- 次の歌
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下にのみ這ひわたりつる葦の根の うれしき雨にあらはるるかな