古典和歌stream

まだ知らぬ人も有りける東路に
我も行きてぞ住むべかりける

歌の意味
我が子の死をまだ知らない人もいた東国に、私も行って住めばよかったのだ。
鑑賞
巻第二十 慶賀歌 1386

詞書「敦敏が身まかりにけるを、まだ聞かで、東より馬を送りて侍りければ」
 我が子の死をまだ知らない人もいる東国に、私も行って住めばよかった、と詠んだ歌である。子の死を知らずに東国から馬が届いたことで、悲しみを知らずにいられる遠い地をうらやみ、我が子を失った親の深い嘆きを詠んでいる。
 詞書によれば、子の敦敏が亡くなったのを、まだ聞き知らずに、東国から馬を送ってきたので詠んだ歌である。藤原敦敏は作者の長男で、若くして亡くなった。本巻はこの歌から哀傷の歌となり、後撰和歌集の巻第二十は慶賀と哀傷の歌を収めている。なお本文の二句は「人も有りける」とあり、読み仮名の行の「ひともありけり」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
 作者の「左大臣」は藤原実頼である。藤原忠平の長男で、左大臣を経て関白太政大臣に至り、清慎公と諡された。

 初句「まだ知らぬ」は、我が子の死をまだ知らない、の意である。
 二句「人も有りける」は、人もいる、の意で、「ける」は連体形で三句の「東路」にかかる。
 三句「東路に」は、東国に、の意で、馬を送ってきた人の住む地である。
 四句「我も行きてぞ」は、私も行って、の意で、「ぞ」は強意の係助詞である。
 結句「住むべかりける」は、住むべきであった、の意で、四句の「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。二句と結句に同じ「ける」を重ねている。

あづまぢ:東国へ向かう道、また東国
みまかる:死ぬ
作者
藤原実頼
出典
後撰和歌集
前の歌
祝ふこと有りとなるべし今日なれど 年のこなたに春も来にけり
次の歌
春の夜の夢のなかにも思ひきや 君なき宿を行きて見むとは