ここら世を聞くが中にも悲しきは
人の涙も尽きやしぬらむ
- 歌の意味
-
これまで多くの人の世の別れを聞いてきた中でも、このたびの悲しさは格別で、人の涙も尽きてしまったのではないだろうか。
- 鑑賞
-
巻第二十 慶賀歌 1394
詞書「女四の親王の事、弔ひ侍りて」
多くの人の死を聞いてきた中でも悲しいのは、人の涙も尽きてしまったのではないかということだ、と詠んだ歌である。女四の宮の死を弔い、これまで聞いたどの死にもまして悲しく、遺された人の涙も尽き果てたのではないかと思いやっている。
詞書によれば、女四の宮の死を弔問して詠んだ歌である。女四の宮は、醍醐天皇の皇女で作者の妻となった勤子内親王を指すとみられる。次歌はその返しで、二首は贈答の一組となっている。
作者の伊勢は、伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の女御藤原温子に仕えた。宇多天皇の寵を受け、のちに敦慶親王との間に中務を生んだ。三十六歌仙の一人で、小倉百人一首には「難波潟短き葦のふしの間も」の歌が採られている。
初句「ここら世を」は、数多くの人の世の別れを、の意である。
二句「聞くが中にも」は、聞いてきた中でも、の意で、「中」を「うち」と読む。
三句「悲しきは」は、悲しいのは、の意である。
四句「人の涙も」は、遺された人の涙も、の意である。
結句「尽きやしぬらむ」は、尽きてしまったのではないか、の意で、「や」は疑問の係助詞で、連体形「らむ」で結ぶ係り結びとなっている。次歌の結句「尽きせざりける」と対をなしている。
とぶらふ:弔問する、見舞う
- 作者
-
伊勢
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
結びおきし種ならねども見るからに いとどしのぶの草を摘むかな
- 次の歌
-
聞く人もあはれてふなる別れには いとど涙ぞ尽きせざりける