吉野山峰の白雪いつ消えて
今朝は霞の立ちかはるらん
- 歌の意味
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吉野山の峰の白雪はいつ消えて、今朝は霞が入れ替わって立っているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第一 春歌 4
詞書「冷泉院東宮におはしましける時、歌奉れと仰せられければ」
昨日まで白雪に覆われていた吉野山の峰に、今朝は霞が立っているのを見て、雪がいつのまに消えて霞に入れ替わったのかといぶかる歌である。冬から春への景色の移り変わりを、白雪と霞の交代としてとらえている。詞書によれば、冷泉院がまだ東宮であったときに歌を献上するよう命じられて詠んだもので、この折に重之が奉った百首歌は重之百首として知られる。
作者の「源重之」は清和源氏の出で、平安時代中期の歌人である。三十六歌仙の一人に数えられる。
初句「吉野山」は、雪深い山として知られる大和の歌枕で、本巻の第一首の「三吉野の」を受け、霞に変わる吉野の姿を詠む。
二句「峰の白雪」は、山頂に残る白い雪で、四句の「霞」と色の対比をなす。
三句「いつ消えて」は、気づかぬうちに雪が消えたことへの疑問を表す。
四句「今朝は霞の」は、一夜明けた朝の景で、本巻の第一首の「今朝は見ゆらん」と同じく今朝の山の変化に目を向けている。
結句「立ちかはるらん」は、雪に代わって霞が立ったのだろうかの意で、「らん」は現在推量の助動詞で、その原因を推し量る。
たちかはる:入れ替わって立つ。前のものに代わって現れる
- 作者
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源重之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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昨日こそ年は暮れしか春霞 春日の山にはや立ちにけり
- 次の歌
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あらたまの年立ち返る朝より 待たるるものは鶯の声