- 歌の意味
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浅茅の生い茂る、主のいない家の桜花は、気兼ねなく風に散っているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第一 春歌 62
詞書「荒れ果てて人も侍らざりける家に、桜の咲き乱れて侍りけるを見て」
荒れ果てて主のいない家に咲き乱れる桜を見て、惜しむ人もいないので心安らかに風に散っているのだろうかと詠む。人に惜しまれない花の気楽さに、荒れた家の寂しさがにじむ。詞書によれば、荒れ果てて人も住んでいない家に桜が咲き乱れているのを見て詠んだ歌である。
作者の「恵慶法師」は平安時代中期の僧で、播磨国の講師を務めたとも伝えられる。中古三十六歌仙の一人に数えられる。
初句「浅茅原」は、丈の低い茅の生い茂った野原で、荒れた家を表す。
二句「主なき宿の」は、主人のいない家の、の意である。前歌が毎朝掃き清められる庭の桜を詠んだのと対照をなす。
三句「桜花」は、荒れた家に咲く桜を示す。
四句「心やすくや」は、気兼ねなく、の意で、「や」の係り結びで結句の「らん」で結ぶ。
結句「風に散るらん」は、「らん」の現在推量で、桜の心を推し量る。
あさぢはら:丈の低い茅の生えた野原。荒れた土地の象徴
ぬし:主人。持ち主
- 作者
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恵慶
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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朝ごとにわが掃く宿の庭桜 花散るほどは手も触れで見む
- 次の歌
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春深くなりぬと思ふを桜花 散る木のもとはまだ雪ぞ降る