- 歌の意味
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家に帰って何を土産話にしようか。山のほととぎすよ、せめて一声でも鳴いてほしいものだ。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 97
詞書「夏山を越ゆとて」
夏山を越えながら、家に帰って何を話そうか、山のほととぎすがせめて一声でも鳴いてくれたらよいのに、と願う歌である。旅の土産話としてほととぎすの声を求める心に、家で待つ人への思いがにじむ。詞書によれば、夏山を越えるときに詠んだ歌である。
作者の「久米広縄」は、奈良時代の官人である。越中国の掾として、国守であった大伴家持のもとで歌を詠み交わした。
この歌は万葉集巻十九に久米広縄の歌として見え、ほととぎすが鳴かないのを恨んで詠んだ歌である。
初句「家に来て」は、家に帰ってきて、の意で、旅を終えた後のことを思いやる。
二句「何を語らむ」は、何を話そうか、の意で、「む」は意志の助動詞である。ここで句切れとなる。
三句「あしひきの」は、「山」にかかる枕詞である。
四句「山郭公」は、山にいるほととぎすをいう。本巻の第九十五首に続く「山郭公」の語で、山を越える旅の場にふさわしい。
結句「一声もがな」は、一声でもあればよいのに、の意で、「もがな」は願望の終助詞である。本巻の第百六首の「今一声」と同じく、一声を求める心を詠む。
あしひき:「山」「峰」などにかかる枕詞
- 作者
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久米広縄
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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初声の聞かまほしさに郭公 夜深く目をもさましつるかな
- 次の歌
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山里に知る人もがな郭公 鳴きぬと聞かば告げに来るがに