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昨日までよそに思ひしあやめ草
今日我が宿のつまと見るかな

歌の意味
昨日までは自分とは関わりのないものと思っていたあやめ草を、今日は我が家の軒端に挿して、妻のように親しく見ることだ。
鑑賞
巻第二 夏歌 109

詞書「屏風に」
 昨日まで無縁のものと思っていたあやめ草が、端午の節句の今日は我が家の軒に葺かれ、まるで妻のように身近なものとなったと詠む歌である。「つま」に軒の端の意と妻の意を掛け、節句の風習をほほえましく詠んでいる。詞書によれば、屏風絵に添えて詠まれた歌である。
 作者の「大中臣能宣」は、平安時代中期の歌人で、伊勢神宮の祭主を務めた大中臣氏の出である。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わり、三十六歌仙に数えられる。

 初句「昨日まで」は、四句の「今日」と対をなし、端午の節句の前日と当日を対比させる。
 二句「よそに思ひし」は、自分とは関わりのないものと思っていた、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
 三句「あやめ草」は、五月五日の節句に軒に葺くあやめ草をいう。前歌の淀川のあやめ草を受け、野にあった草が家に入る次第を示している。
 四句「今日我が宿の」は、端午の節句の当日である今日、我が家の、の意である。
 結句「つまと見るかな」は、「つま」に軒の端の意と妻の意を掛けた掛詞である。軒端に葺かれたあやめ草を、妻のように親しいものと見ることをいい、「かな」は詠嘆の終助詞である。

つま:軒の端の意と、妻の意を掛ける
あやめぐさ:ショウブの古名。端午の節句に軒に挿したり、薬玉にしたりした
作者
大中臣能宣
出典
拾遺和歌集
前の歌
五月雨は近くなるらし淀河の あやめの草もみくさ生ひにけり
次の歌
今日見れば玉のうてなもなかりけり あやめの草のいほりのみして