- 歌の意味
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夏が来ると、深草山のほととぎすは、鳴く声がいよいよしきりになっていくことだ。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 123
詞書「延喜御時中宮歌合」
夏が深まるにつれて、深草山のほととぎすの鳴く声がいよいよしきりになっていくと詠む歌である。「深草」の名と「しげく」の語を響かせ、夏の盛りに向かう季節の進みを声の繁さでとらえている。詞書によれば、醍醐天皇の延喜の御代に、中宮藤原穏子のもとで催された歌合に出された歌である。
初句「夏来れば」は、夏が来ると、の意で、「ば」は恒常的な条件を表す。
二句「深草山の」は、山城国の深草の山をいう。「深草」の名は、草が深く茂るという意を響かせ、四句の「しげく」と縁をなす。
三句「郭公」は、深草山で鳴くほととぎすをいう。
四句「鳴く声しげく」は、鳴く声がしきりに、の意で、「しげく」は草の茂る意を響かせる。本巻の第九十五首で鳴くのが遅いと嘆かれたほととぎすが、ここでは声を繁くしており、待たれる声から満ちあふれる声へと移っている。
結句「なりまさるなり」は、ますますそうなっていくようだ、の意で、文末の「なり」は音によって推定する助動詞である。
ふかくさやま:山城国の深草のあたりの山。歌枕
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
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夏の夜は浦島の子が箱なれや はかなくあけて悔しかるらん
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五月闇くらはし山の郭公 おぼつかなくも鳴き渡るかな