五月闇くらはし山の郭公
おぼつかなくも鳴き渡るかな
- 歌の意味
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五月闇で暗い倉橋山のほととぎすは、その姿もおぼろげなまま、鳴きながら渡っていくことだ。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 124
詞書「春宮に候ひける絵に、倉橋山に郭公飛び渡りたる所」
五月闇に包まれた倉橋山を、ほととぎすが姿もはっきりしないまま鳴き渡っていく情景を詠んだ歌である。「くらはし」に暗しを響かせ、闇の中に声だけが渡っていく趣をとらえている。詞書によれば、東宮のもとにあった絵の、倉橋山をほととぎすが飛び渡る場面に添えた歌である。
作者の「藤原実方朝臣」は、平安時代中期の歌人である。藤原定時の子で、左近衛中将を務めたのち陸奥守として下向し、任地で没した。中古三十六歌仙に数えられる。
初句「五月闇」は、五月雨の頃の夜の暗さをいう。本巻の第百二十七首の「木の下闇」とも響き合い、夏の闇を詠む歌の一つとなる。
二句「くらはし山の」は、「くらはし」に大和国の倉橋山の名と、暗しの意を掛けた掛詞である。初句の「五月闇」の暗さを受けて、山の名に暗さを響かせている。
三句「郭公」は、闇の中を飛び渡るほととぎすをいう。
四句「おぼつかなくも」は、はっきりせず、おぼろげに、の意で、闇のため姿が見えないことをいう。
結句「鳴き渡るかな」は、鳴きながら渡っていくことよ、の意である。本巻の第百首の「鳴き渡るなる」と同じく、声で渡りゆくほととぎすをとらえ、第百首が明け方のかすかな声であったのに対し、本歌は五月闇の中の声を詠んでいる。
さつきやみ:五月雨の頃の夜の暗さ。五月闇
くらはし:大和国の倉橋山の名と、暗しの意を掛ける
- 作者
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藤原実方
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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夏来れば深草山の郭公 鳴く声しげくなりまさるなり
- 次の歌
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郭公鳴くや五月の短夜も 独りし寝れば明かしかねつも