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紅葉せばあかくなりなんをぐら山
秋待つほどの名にこそありけれ

歌の意味
紅葉したならば赤く明るくなるだろう小倉山よ。小暗いというその名は、秋を待つ間だけの名であったのだ。
鑑賞
巻第二 夏歌 135

詞書「題しらず」
 小倉山は小暗いという名をもつが、秋に紅葉すれば赤く明るくなるだろうから、その名は秋を待つ間だけのものだと詠む歌である。「をぐら」の名と「あかく」の語に掛詞を用い、夏の終わりに来るべき秋の紅葉を思いやっている。

 初句「紅葉せば」は、紅葉したならば、の意で、「ば」は仮定条件を表す。
 二句「あかくなりなん」は、「あかく」に赤くの意と明かく、すなわち明るくの意を掛けた掛詞である。「なん」は強意と推量の助動詞である。
 三句「をぐら山」は、山城国の小倉山で、「をぐら」に小暗しの意を響かせる。本巻の第百二十八首と同じく、小倉山の名が暗さを意味することを踏まえている。第百二十八首が名のとおり暗い小倉山を詠んだのに対し、本歌は紅葉によって明るくなる小倉山を思い描き、暗と明が反転している。
 四句「秋待つほどの」は、秋を待つ間の、の意である。夏の巻の終わり近くで秋を待つ心を詠み、季節の移りを予感させる。
 結句「名にこそありけれ」は、名であったのだ、の意で、「こそ」の係り結びにより已然形の「けれ」で結ぶ。

をぐら:山城国の小倉山の名と、小暗し(ほの暗い)の意を掛ける
あかし:赤い意と、明るい意を掛ける
作者
よみ人しらず
出典
拾遺和歌集
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さばへなす荒ぶる神もおしなべて 今日はなごしの祓なりけり
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大荒木の森の下草茂りあひて 深くも夏のなりにけるかな