我が宿の菊の白露今日ごとに
幾世積もりて淵となるらん
- 歌の意味
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我が家の菊に置く白露は、毎年の重陽の今日ごとに積もり重なって、幾世を経て淵となるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 184
詞書「三条のきさいの宮の裳着侍りける屏風に、九月九日の所」
重陽の節句に、菊に置いた白露が毎年積もり重なって、やがて幾世を経て淵となるだろうと詠む歌である。菊の露には長寿の効があるとされたことを背景に、裳着を迎えた人の末長い繁栄を祝っている。詞書によれば、三条の后の宮と呼ばれた方の裳着の祝いの屏風に、九月九日の重陽の場面が描かれていたのに添えた歌である。
作者の「もとすけ」は清原元輔である。清原深養父の孫で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わった。清少納言の父で、三十六歌仙に数えられる。
初句「我が宿の」は、自分の家の、の意である。
二句「菊の白露」は、菊に置いた白露をいう。菊の露には長寿の効があるとされた。本歌と次歌の第百八十五首は、ともに重陽の菊を詠む。
三句「今日ごとに」は、毎年の九月九日の今日ごとに、の意である。
四句「幾世積もりて」は、幾世代も積もり重なって、の意である。
結句「淵となるらん」は、淵となるのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞である。露という小さなものが淵となるまでの長い時を思い描き、一滴と幾世という尺度の対比で長寿を祝っている。
もぎ:女子が成人して初めて裳を着ける儀式。裳着
ちようやう:陰暦九月九日の節句。菊の節句。重陽
- 作者
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清原元輔
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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うつろはむことだに惜しき秋萩を 折れぬばかりも置ける露かな
- 次の歌
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長月の九日ごとに摘む菊の 花もかひなく老いにけるかな