紅葉せぬ常磐の山に住む鹿は
おのれ鳴きてや秋を知るらん
- 歌の意味
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紅葉することのない常磐の山に住む鹿は、自分が鳴くことによって秋を知るのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 190
詞書「題しらず」
紅葉しない常磐の山に住む鹿は、山の色で秋を知ることができないので、自ら鳴くことで秋の訪れを知るのだろうかと思いやる歌である。秋に妻を求めて鳴く鹿の声を、秋を知る手立てとしてとらえた機知の歌である。
作者の「大中臣能宣」は、平安時代中期の歌人で、伊勢神宮の祭主を務めた大中臣氏の出である。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わり、三十六歌仙に数えられる。
初句「紅葉せぬ」は、前歌と同じ初句で、二首が対をなす。
二句「常磐の山に」は、前歌の「常磐の山は」を受け、同じ山を舞台とする。
三句「住む鹿は」は、山に住む鹿をいう。前歌が風の音という外からの音で秋を知るとしたのに対し、本歌は鹿が自らの声で秋を知るとし、外の音と内の声とで対をなしている。
四句「おのれ鳴きてや」は、自分が鳴いて、の意で、「や」は疑問の係助詞であり、結句の「らん」で結ぶ係り結びとなる。
結句「秋を知るらん」は、秋を知るのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞の連体形である。次歌の第百九十一首でも、秋風につれて鳴く鹿が詠まれる。
ときはのやま:山城国の常磐の山。常緑で変わらない意を響かせる歌枕
- 作者
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大中臣能宣
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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紅葉せぬ常磐の山は吹く風の 音にや秋を聞きわたるらん
- 次の歌
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秋風のうち吹くごとに高砂の 尾上の鹿の鳴かぬ日ぞなき