紅葉見に宿れる我と知らねばや
佐保の川霧立ち隠すらん
- 歌の意味
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紅葉を見るために泊まっている私だと知らないからか、佐保の川霧が立ちこめて紅葉を隠しているのだろう。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 193
詞書「初瀬へ詣で侍りける道に、佐保山のもとにまかり宿りて、朝に霧の立ちわたりて侍りければ」
紅葉を見ようとわざわざ宿った自分のことを知らないからか、佐保の川霧が立ちこめて山の紅葉を隠してしまうと恨む歌である。霧を、旅人の思いを知らない者として擬人的にとらえている。詞書によれば、初瀬の長谷寺へ参詣する途中、佐保山のふもとに泊まった翌朝、霧が一面に立ちこめていたときの歌である。
作者の「恵慶法師」は、平安時代中期の僧、歌人である。河原院に住んだ安法法師のもとに集まった歌人たちと交流した。中古三十六歌仙に数えられる。
初句「紅葉見に」は、紅葉を見るために、の意である。
二句「宿れる我と」は、泊まっている私だと、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。
三句「知らねばや」は、知らないからか、の意で、「や」は疑問の係助詞であり、結句の「らん」で結ぶ係り結びとなる。
四句「佐保の川霧」は、本巻の第百八十六首と同じ語句である。第百八十六首では川霧が立って木の葉が色づくと詠まれたのに対し、本歌では川霧が紅葉を隠すものとされ、霧の働きが反転している。
結句「立ち隠すらん」は、立ちこめて隠しているのだろうか、の意で、「らん」は原因推量の助動詞の連体形である。本巻の第二百六首の結句にも同じ「立ち隠すらん」が用いられ、紅葉を隠す霧を詠む歌が呼応している。
はつせ:大和国の初瀬。長谷寺がある
さほやま:大和国の佐保山。紅葉の名所とされた
- 作者
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恵慶
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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秋風をそむくものから花すすき 行く方をなど招くなるらん
- 次の歌
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紅葉葉の色をし添へて流るれば 浅くも見えず山川の水