散りぬべき山の紅葉を秋霧の
やすくも見せず立ち隠すらん
- 歌の意味
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やがて散ってしまうにちがいない山の紅葉を、秋霧はどうしてたやすくは見せずに、立ちこめて隠しているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 206
詞書「延喜御時、中宮御屏風に」
まもなく散ってしまう山の紅葉なのだから今のうちに見たいのに、秋霧はなぜたやすく見せず立ちこめて隠すのかと恨む歌である。限られた紅葉の時を惜しむ心を、霧への問いかけの形で表している。詞書によれば、醍醐天皇の延喜の御代に、中宮の御所の屏風に添えた歌である。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
初句「散りぬべき」は、散ってしまうにちがいない、の意で、「ぬべし」は強い推量を表す。
二句「山の紅葉を」は、山の紅葉を、の意である。
三句「秋霧の」は、秋に立つ霧をいう。本巻の第百九十六首の初句と同じ語で、紅葉を隠す霧が再び詠まれる。
四句「やすくも見せず」は、たやすくは見せずに、の意である。
結句「立ち隠すらん」は、立ちこめて隠しているのだろうか、の意で、「らん」は原因推量の助動詞である。本巻の第百九十三首と同じ結句で、紅葉を隠す霧を恨む歌が呼応している。
あきぎり:秋に立つ霧。秋霧
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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訪ふ人も今はあらしの山風に 人まつ虫の声ぞ悲しき
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秋山の嵐の声を聞く時は 木の葉ならねど物ぞ悲しき