秋霧の峰にも尾にもたつ山は
紅葉の錦たまらざりけり
- 歌の意味
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秋霧が峰にも尾根にも立ちこめる山では、霧が錦を裁つかのように、紅葉の錦がとどまってはいないことだ。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 211
詞書「題しらず」
秋霧が峰にも尾根にも立ちこめる山では、紅葉の錦も残りとどまってはいないと詠む歌である。「たつ」に霧が立つ意と錦を裁つ意とを掛け、霧が錦を裁ち切ってしまうかのように紅葉が散り失せるさまを機知的に描いている。
作者の「よしのふ」は大中臣能宣である。伊勢神宮の祭主を務めた大中臣氏の出で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わった。三十六歌仙に数えられる。
初句「秋霧の」は、秋に立つ霧をいう。本巻の第百九十六首、第二百六首に続き、紅葉と秋霧とが取り合わされる。
二句「峰にも尾にも」は、山の頂にも尾根にも、の意である。
三句「たつ山は」は、「たつ」に霧が立つ意と、錦を裁つ意を掛けた掛詞である。第百九十六首の「たたまく」と同じ趣向である。
四句「紅葉の錦」は、紅葉を錦に見立てた語で、前歌と同じ語句である。前歌が人の身にまとわれる錦を詠んだのに対し、本歌は山に残らない錦を詠んでいる。
結句「たまらざりけり」は、とどまらないのであった、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。
たつ:霧が立つ意と、錦を裁つ意を掛ける
を:山の尾根。尾
- 作者
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大中臣能宣
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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朝まだきあらしの山の寒ければ 紅葉の錦着ぬ人ぞなき
- 次の歌
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いろいろの木の葉流るる大井川 下はかつらの紅葉とや見ん