- 歌の意味
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竜田川に紅葉の葉が流れている。神なびの三室の山では時雨が降っているらしい。
- 鑑賞
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巻第四 冬歌 219
詞書「奈良の帝、竜田川に紅葉御覧じに行幸ありける時、御供に仕うまつりて」
竜田川を流れてくる紅葉を見て、上流の三室山では時雨が降って紅葉を散らしているのだろうと推し量る歌である。眼前の川の景から見えない山の時雨へと思いを広げ、竜田の紅葉の豊かさを伝えている。詞書によれば、奈良の帝が紅葉を見に竜田川へ行幸した時に供として仕えて詠んだ歌である。奈良の帝が誰を指すかについては諸説ある。
作者の「柿本人麿」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれる。三十六歌仙の一人に数えられる。
この歌は古今和歌集の秋歌下にもよみ人しらずとして収められており、人麻呂の作とする伝えは確かなものではない。
初句「竜田川」は、大和国を流れる紅葉の名所の川である。
二句「紅葉葉流る」は、紅葉の葉が流れている、の意で、ここで句切れとなる。眼前の景を示している。
三句「神なびの」は、神の鎮座する、の意で、「三室の山」を修飾する。本巻の第二百十七首の結句「神なびの森」と同じく、竜田の神域を詠んでいる。
四句「三室の山に」は、神の降臨する山をいい、竜田川の上流にある紅葉の名所である。
結句「時雨降るらし」は、時雨が降っているらしい、の意で、「らし」は流れてくる紅葉を根拠とした推定である。前歌の二句「時雨しぬらし」と同じく、目の前のしるしから時雨を推し量っている。
みむろ:神の降臨する所。ここでは竜田川上流の三室山
ぎやうかう:天皇が外出すること。行幸
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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神無月時雨しぬらし葛の葉の うらこがる音に鹿も鳴くなり
- 次の歌
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唐錦枝にひとむら残れるは 秋の形見をたたぬなりけり