君が世を何にたとへんさざれ石の
巌とならんほども飽かねば
- 歌の意味
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あなたの寿命を何にたとえたらよいだろうか。小石が大きな岩となるまでの長い時でさえ、物足りないので。
- 鑑賞
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巻第五 賀歌 277
詞書「清慎公五十の賀し侍りける時の屏風に」
君の寿命を何にたとえたらよいか、小石が大岩となるまでの時間でさえまだ物足りないと詠む歌である。古来の長寿の定型であるさざれ石の喩えさえ超えるほどの長寿を願い、祝意を強めている。詞書によれば、清慎公すなわち藤原実頼の五十の賀の屏風に添えた歌である。
作者の「もとすけ」は清原元輔である。清原深養父の孫で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わった。清少納言の父で、三十六歌仙に数えられる。
古今和歌集の賀歌の巻頭の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」を踏まえている。
初句「君が世を」は、あなたの寿命を、の意である。
二句「何にたとへん」は、何にたとえたらよいだろうか、の意で、ここで句切れとなる。
三句「さざれ石の」は、小さな石の、の意で、小石が長い年月を経て大岩になるという考えに基づいている。
四句「巌とならん」は、大きな岩となるであろう、の意である。本巻の第二百九十九首、第三百首も巌を詠み、長い時間の喩えとしての巌が巻末まで続いていく。
結句「ほども飽かねば」は、その時間でも満足できないので、の意で、已然形に「ば」がついて理由を表す。本巻の第二百八十三首の「なほこそ飽かね」と、長寿の定型に満足しない趣向を共有している。
さざれいし:小さな石
いはほ:大きな岩
- 作者
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清原元輔
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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一節に千代をこめたる杖なれば つくともつきじ君が齢は
- 次の歌
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青柳の緑の糸を繰り返し いくらばかりの春を経ぬらん