我が宿に咲ける桜の花盛り
千年見るとも飽かじとぞ思ふ
- 歌の意味
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我が家に咲いている桜の花盛りは、千年見続けても見飽きることはないだろうと思う。
- 鑑賞
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巻第五 賀歌 279
詞書は前の歌に続き「清慎公五十の賀し侍りける時の屏風に」
我が家に咲く桜の花盛りを、千年見続けても見飽きないだろうと詠む歌である。桜を千年見続けるという表現に、それを見届ける主の長寿への祝いを込めている。詞書によれば、前歌と同じく藤原実頼の五十の賀の屏風に添えた歌である。
作者の「かねもり」は平兼盛である。光孝天皇の流れをくむ平氏の出で、平安時代中期の歌人である。天徳四年の内裏歌合での活躍で知られ、三十六歌仙に数えられる。
初句「我が宿に」は、我が家に、の意で、屏風の主である実頼の邸を指している。
二句「咲ける桜の」は、咲いている桜の、の意で、「る」は存続の助動詞である。
三句「花盛り」は、花の盛りをいい、ここで句切れとなる。
四句「千年見るとも」は、千年見続けても、の意である。
結句「飽かじとぞ思ふ」は、飽きることはないだろうと思う、の意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「思ふ」で結ぶ。本巻の第二百八十七首は、千年の春を過ごしても花の色にいつ飽きるだろうかと反語で問い、飽きない心を同じく詠んでいる。
やど:家。住まい
- 作者
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平兼盛
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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青柳の緑の糸を繰り返し いくらばかりの春を経ぬらん
- 次の歌
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君がため今日切る竹の杖なれば またも尽きせぬよよぞこもれる