大空に群れたる鶴のさしながら
思ふ心のありげなるかな
- 歌の意味
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大空に群れている鶴は、みなそろったまま、何か思う心がありそうな様子であることよ。
- 鑑賞
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巻第五 賀歌 284
詞書「五条内侍のかみの賀、民部卿清貫し侍りける時、屏風に」
大空に群れ飛ぶ鶴が、みなそろって何か思う心のありそうな様子だと詠む歌である。千年の齢をもつ鶴にも主の長寿を祝う心があるかのように見なし、屏風絵の鶴に祝意を託している。詞書によれば、五条の尚侍の賀を民部卿藤原清貫が催した時の屏風に添えた歌である。五条の尚侍は藤原満子とされる。
作者の「伊勢」は、平安時代前期から中期の女流歌人で、藤原継蔭の娘である。宇多天皇の中宮温子に仕え、中務の母となった。三十六歌仙に数えられる。
初句「大空に」は、大空に、の意である。
二句「群れたる鶴の」は、群れている鶴の、の意で、「たる」は存続の助動詞である。本巻の第二百六十五首の鶴に続き、長寿の鳥が詠まれている。
三句「さしながら」は、そのまま、みなそろって、の意と解される。本巻の第二百八十六首の三句も同じ「さしながら」であるが、そちらは花を挿しながら、の意である。
四句「思ふ心の」は、思う心の、の意で、前歌の四句と同じ句である。前歌が人の思う心の限りなさを詠んだのを受け、ここでは鶴にも思う心があるとしている。
結句「ありげなるかな」は、ありそうな様子であることよ、の意で、「げ」は様子を表す接尾語、「かな」は詠嘆である。
たづ:鶴の歌語
ないしのかみ:内侍司の長官。尚侍
- 作者
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伊勢
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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万代もなほこそ飽かね君がため 思ふ心の限りなければ
- 次の歌
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春の野の若菜ならねど君がため 年の数をもつまんとぞ思ふ