いたづらに世にふる物と高砂の
松も我をや友と見るらん
- 歌の意味
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むなしくこの世に年を経て古びていく者として、高砂の松も私を仲間だと見ているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 463
詞書「司賜はらで嘆き侍りける頃、人の草子書かせ侍りける奥に書き付け侍りける」
むなしく世に年を経て古びていく者として、高砂の松も私を仲間と見ているのだろうかと詠む歌である。詞書から、官職を得られずに嘆いていた頃、人に頼まれて書写した草子の奥に書き付けた歌とわかる。年を経た高砂の松に、不遇のうちに老いていく我が身を重ね、自嘲を込めて嘆いている。前歌の第四百六十二首の松に寄せて年を経る身の嘆きを受け、本巻の第四百五十三首の高砂の松をも思い起こさせる。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
古今和歌集の藤原興風の「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」は、高砂の松を友とすることもできない孤独を詠んでおり、この歌はそれとは逆に松から友と見なされる身を詠んでいる。
初句「いたづらに」は、むなしく、の意である。
二句「世にふる物と」は、この世に年を経て古びていく者として、の意である。「ふる」は年月を「経る」意と、古びる意の「古る」とを掛けた掛詞である。本巻の巻頭の第四百三十二首の初句「世に経るに」とも呼応している。
三句「高砂の」は、播磨国の高砂の、の意で、松の名所である。
四句「松も我をや」は、松も私を、の意で、「や」は疑問の係助詞である。
結句「友と見るらん」は、仲間と見ているのだろうか、の意で、係助詞「や」を受けて連体形の「らん」で結んでいる。
ふる:年月を経る意と、古びる意を掛ける
さうし:草子。綴じた冊子
つかさ:官職
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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世の中を住吉としも思はぬに 何をまつとて我が身経ぬらん
- 次の歌
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世とともにあかしの浦の松原は 波をのみこそよると知るらめ