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世にふれば又も越えけり鈴鹿山
昔の今になるにやあるらん

歌の意味
世に長らえていると、また越えることになった鈴鹿山よ。昔のことが今に戻ってきたのだろうか。
鑑賞
巻第八 雑歌上 495

詞書「円融院の御時、斎宮下り侍りけるに、母の前斎宮もろともに越え侍りて」
 世に長らえていると、また鈴鹿山を越えることになった、昔が今に戻ってきたのだろうかと詠む歌である。詞書から、円融院の御代に娘の規子内親王が斎宮として伊勢へ下る際、かつて自らも斎宮であった作者が娘とともに鈴鹿山を越えた折の歌とわかる。若き日に斎宮として越えた山を、年を経て母として再び越える感慨を、昔と今とが重なり合うさまとして表している。前歌の第四百九十四首は作者の夫であった村上天皇の斎宮下向の歌で、二首が鈴鹿山を共有して並べられている。
 作者の「斎宮女御」は徽子女王である。醍醐天皇の皇子重明親王の娘で、斎宮を務めたのち村上天皇の女御となり、規子内親王を産んだ。三十六歌仙に数えられる。
 なお本文の結句は「なるにやあるらん」とあり、読み仮名の行の「なるにやあらむ」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。

 初句「世にふれば」は、世に長らえていると、の意である。「ふれ」は年月を「経れ」の意と、鈴を「振れ」の意を掛けた掛詞で、三句の「鈴鹿山」の鈴と縁語になっている。本巻の第四百三十二首の初句「世に経るに」とも響き合っている。
 二句「又も越えけり」は、また越えることになった、の意で、「けり」は詠嘆を表す。
 三句「鈴鹿山」は、伊勢国と近江国との境にある山で、前歌の三句と同じ句である。ここで句切れとなる。
 四句「昔の今に」は、昔のことが今に、の意で、かつて斎宮として越えた昔をいう。
 結句「なるにやあるらん」は、なったのであろうか、の意で、八音の字余りである。「や」は疑問の係助詞で、連体形の「らん」で結んでいる。「なる」には鈴の「鳴る」が響いている。

ふる:年月を経る意と、鈴を振る意を掛ける
さきのさいぐう:前斎宮。以前に斎宮を務めた人
作者
徽子女王
出典
拾遺和歌集
前の歌
思ふことなるといふなる鈴鹿山 越えてうれしき境とぞ聞く
次の歌
明日香川しがらみ渡し塞かませば 流るる水ものどけからまし