植ゑて見る草葉ぞ世をば知らせける
おきては消ゆる今朝の朝露
- 歌の意味
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植えて眺めている草葉こそが、この世のはかなさを教えてくれたのだ。起きて見ると、置いてはすぐに消えていく今朝の朝露によって。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 500
詞書「題しらず」
植えて眺めている草葉こそがこの世のはかなさを教えてくれた、置いてはすぐに消える今朝の朝露によってと詠む歌である。草葉に置いた露が朝のうちに消えてゆく様子に、この世の無常を見て取っている。前歌の第四百九十九首の「露」「置く」を受け、次歌の第五百一首の「露の命」へと、露に寄せたはかなさの歌が続いている。
作者の「中務」は、宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢との間に生まれた娘で、平安時代中期の女流歌人である。三十六歌仙に数えられる。
初句「植ゑて見る」は、植えて眺めている、の意である。
二句「草葉ぞ世をば」は、草葉こそがこの世を、の意で、「ぞ」は強意の係助詞である。
三句「知らせける」は、教えてくれたのだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形の「ける」で結んでいる。ここで句切れとなる。
四句「おきては消ゆる」は、置いてはすぐに消える、の意である。「おき」は露が「置き」の意と、朝に「起き」の意を掛けた掛詞である。
結句「今朝の朝露」は、今朝の朝露、の意で、体言止めである。上の句で草葉が世を教えたと言い、その内容を倒置的に下の句で示している。
おく:露が置く意と、朝に起きる意を掛ける
- 作者
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中務
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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行く末の忍草にもありやとて 露の形見も置かんとぞ思ふ
- 次の歌
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露の命惜しとにはあらず君を又 見でやと思ふぞ悲しかりける