春はただ花のひとへに咲くばかり
物のあはれは秋ぞまされる
- 歌の意味
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春はただ花が一重に、ひたすら咲くばかりだ。しみじみとした情趣は、秋のほうがまさっている。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌下 511
詞書「題しらず」
春はただ花がひたすら咲くばかりで、しみじみとした情趣では秋がまさっていると詠む歌である。花の華やかさだけの春に対し、心にしみる趣の深さを秋に見いだし、秋をまさるものと言い切っている。前の二首の第五百九首と第五百十首が春と秋のどちらとも決めかねる心を詠んだのに対し、この歌ははっきりと秋に軍配を上げており、春秋の優劣を詠む三首の結びとなっている。
初句「春はただ」は、春はただ、の意で、「ただ」は三句の「ばかり」と呼応して、春には花のほかに何もないと限定している。
二句「花のひとへに」は、「ひとへ」が花びらの重なりのない「一重」と、ひたすらの意の「ひとへに」を掛ける掛詞である。
三句「咲くばかり」は、咲くだけである、の意で、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「物のあはれは」は、しみじみとした情趣は、の意で、上の句の春の華やかさと対比させている。
結句「秋ぞまされる」は、秋のほうがまさっている、の意で、係助詞「ぞ」を受けて、存続の助動詞「り」の連体形「る」で結ぶ係り結びである。前歌の第五百十首で俊子が心を寄せた秋を、ここではっきりとまさるものとしている。
ひとへ:花びらの重なりが一枚である「一重」の意と、ひたすらの意の「偏」を掛ける
もののあはれ:物事に触れて起こるしみじみとした情趣
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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おほかたの秋に心は寄せしかど 花見る時はいづれともなし
- 次の歌
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折からにいづれともなき鳥の音も いかが定めむ時ならぬ身は