種なくてなき物草は生ひにけり
まくてふ事はあらじとぞ思ふ
- 歌の意味
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種もないのに、「無き物」という草は生えたことだ。種を蒔くということも、勝負に負けるということも、あるまいと思う。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌下 525
詞書「草合し侍りける所に」
種もないのに「無き物」という草が生えたのだから、種を蒔くことも勝負に負けることもあるまいと詠む歌である。詞書から、草を持ち寄って優劣を競う草合の場で詠んだ歌とわかる。「無き物」という草の名を取り上げ、蒔かずに生えた草のように、こちらが負けることもないと、勝負の場を盛り上げる機知の歌である。前歌の第五百二十四首と「種」と「まく」の語を共有し、歌合の取りやめを詠んだ前歌に対し、草合の勝ちを詠んで対をなしている。
作者の恵慶法師は、平安中期の僧で、播磨国の国分寺の講師を務めたとされる。中古三十六歌仙の一人で、百人一首の「八重むぐら」の歌で知られる。
初句「種なくて」は、種がなくて、の意で、前歌の第五百二十四首の二句「種となるらん」を受けている。
二句「なき物草は」は、「無き物」という名の草は、の意で、名に「無き」を持つ草を取り上げている。
三句「生ひにけり」は、生えたことだ、の意で、「に」は完了、「けり」は詠嘆の助動詞である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「まくてふ事は」は、「まく」ということは、の意で、「てふ」は「といふ」がつまった形である。「まく」は種を「蒔く」と勝負に「負く」を掛ける掛詞で、前歌の第五百二十四首の四句「まく人なみの」と同じ掛詞を用いている。
結句「あらじとぞ思ふ」は、あるまいと思う、の意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形の「思ふ」で結ぶ係り結びである。
くさあはせ:草合。草を持ち寄って優劣を競う遊び
まく:種を「蒔く」意と、勝負に「負く」意を掛ける
- 作者
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恵慶法師
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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水の泡や種となるらん浮草の まく人なみの上に生ふれば
- 次の歌
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我が事はえもいはしろの結び松 千歳を経とも誰か解くべき