いつしかと開けて見たれば浜千鳥
跡あることに跡のなきかな
- 歌の意味
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早く見たいと開けて見たところ、浜千鳥の足跡のような筆跡があるはずのものに、その跡がないことだ。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌下 553
詞書「内侍馬が家に、右大将実資が童に侍りける時、碁打ちにまかりたりければ、物書かぬ草子を賭け物にして侍りけるを見侍りて」
早く見たいと開けてみると、浜千鳥の跡、すなわち筆跡があるはずの草子に、何も書かれた跡がないと詠む歌である。詞書から、実資がまだ子どもであった頃、内侍馬の家へ碁を打ちに行き、何も書いていない草子を賭け物にしたのを見て詠んだ歌とわかる。千鳥の足跡を文字にたとえる伝統を踏まえ、何も書かれていない草子を、浜千鳥の跡のない浜に見立てて戯れている。次歌の第五百五十四首の実資の返しと一組の贈答で、前歌の第五百五十二首に続き碁にまつわる歌である。
作者の「小野宮太政大臣」は藤原実頼である。藤原忠平の長男で、関白太政大臣に至り、小野宮流の祖とされる。孫の実資を養子とした。
初句「いつしかと」は、早く見たいと、の意で、待ちかねる気持ちを表す。
二句「開けて見たれば」は、開けて見たところ、の意で、草子を開いたことをいう。
三句「浜千鳥」は、浜辺の千鳥、の意で、その足跡から筆跡を連想させる。前歌の第五百五十二首の四句「浜の真砂の」と浜の景を共有し、次歌の第五百五十四首の三句「浜千鳥」とも同じ語を共有している。
四句「跡あることに」は、跡があるはずのものに、の意で、千鳥の足跡にたとえた筆跡をいう。
結句「跡のなきかな」は、跡がないことだ、の意で、四句の「跡ある」と対比させ、「かな」は詠嘆を表す。
あと:跡。足跡と筆跡
さうし:草子。綴じた冊子
かけもの:賭け物。勝負に賭ける品
- 作者
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藤原実頼
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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白波の打ちやかへすと待つほどに 浜の真砂の数ぞ積もれる
- 次の歌
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とどめても何にかはせん浜千鳥 古りぬる跡は波に消えつつ