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如何せむ我が身くだれるいな舟の
しばしばかりの命絶えずは

歌の意味
どうしたらよいだろうか。稲舟が川を下るように官位の下った我が身は、せめてしばらくの間だけでも命が絶えずにいられるならば。
鑑賞
巻第九 雑歌下 575

詞書「これが御返し、ただ稲舟の、と仰せられたりければ、又御返し」
 稲舟が川を下るように官位の下った我が身はどうしたらよいのか、せめてしばらくの間だけでも命が絶えずにいられるならばと詠む歌である。詞書から、前に置かれた長歌の第五百七十四首に対し、円融院が「ただ稲舟の」とだけ返事をしたので、それにさらに返した歌とわかる。円融院の返事は、古今和歌集の東歌「最上川のぼればくだる稲舟の」を踏まえ、否というのではない、しばらく待てという意を伝えたものとされ、兼家はその稲舟を受けて、くだった我が身の行く末を案じている。
 本巻の巻頭の第五百九首が身分の高い方の問いに答えた歌であったのに対し、巻末のこの歌は円融院の言葉に答えた歌であり、帝の問いに答える第五百十二首とともに、貴人への応答の歌で巻が始まり、終わっている。
 作者の「東三条太政大臣」は藤原兼家である。藤原師輔の三男で、兄の兼通と対立して右近衛大将を解かれたが、のちに摂政太政大臣に至った。藤原道長の父である。

 初句「如何せむ」は、どうしたらよいだろうか、の意で、ここで句切れとなる初句切れの歌である。本巻の第五百三十一首の結句「いかが答へむ」と同じく、貴人の言葉を前に途方に暮れる心で応じている。
 二句「我が身くだれる」は、我が身が下った、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。官位が下ったことを、稲舟が川を下ることに重ねている。
 三句「いな舟の」は、稲を積んだ舟の、の意で、円融院の「ただ稲舟の」という言葉を受けている。「いな」は「稲」と「否」を掛ける掛詞である。
 四句「しばしばかりの」は、しばらくの間だけの、の意で、円融院の言葉が踏まえる東歌の、しばらく待てという意を受けている。
 結句「命絶えずは」は、命が絶えずにいられるならば、の意で、「ずは」は打消の仮定を表す。下の句全体で、待つ間の命を願う形で言いさしている。

いなぶね:稲舟。稲を積んで川を下る舟。「否」の意を掛ける
だいしやう:大将。近衛府の長官
作者
藤原兼家
出典
拾遺和歌集
前の歌
見れど飽かぬ吉野の河の流れても 絶ゆる時なく行き帰り見む
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榊葉に木綿四手かけて誰が世にか 神の御前に斎ひそめけん