ちはやぶる神もおもひのあればこそ
年経て富士の山も燃ゆらめ
- 歌の意味
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神にも恋の思いの火があるからこそ、年を経ても富士の山は燃え続けているのだろう。
- 鑑賞
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巻第十 神楽歌 597
詞書は前の歌に続き「題しらず」
神にも恋の思いの火があるからこそ、富士の山は年を経ても燃えているのだろうと詠む歌である。富士山の噴煙を、山の神が胸に抱く恋の火に見立てている。人だけでなく神にも恋の思いがあると見ることで、尽きることのない恋心の強さを表している。前歌の第五百九十六首とともに、「ちはやぶる」で始まる人麻呂の歌である。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。持統天皇、文武天皇の時代に仕えた宮廷歌人で、歌聖と称される。
初句「ちはやぶる」は、「神」を導く枕詞で、前歌の第五百九十六首の初句と同じである。
二句「神もおもひの」は、神にも思いの、の意で、「おもひ」の「ひ」に「火」を掛ける掛詞である。前歌の第五百九十六首の「神の保てる」の神に対し、ここでは恋をする神を詠んでいる。
三句「あればこそ」は、あるからこそ、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「らめ」で結ぶ係り結びである。
四句「年経て富士の」は、年を経て富士の、の意である。
結句「山も燃ゆらめ」は、山も燃えているのだろう、の意で、「らめ」は推量の助動詞「らむ」の已然形である。二句の「火」と縁語をなしている。
おもひ:「思ひ」と、その「ひ」に「火」を掛ける
もゆ:燃ゆ。燃える
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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ちはやぶる神の保てる命をば 誰がためにか長くと思はん
- 次の歌
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君が代のながらの山のかひありと のどけき雲のゐる時ぞ見る