- 歌の意味
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葦の生える沢辺でばかり年を過ごしてきたけれど、葦鶴の心は、雲の上ばかりを思っているのだ。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 650
詞書は前の歌に続き「題しらず」
葦鶴は沢でばかり年を過ごしてきたが、その心は雲の上ばかりにあると詠む歌である。地上の沢に住みながら空高く飛ぶことを思う鶴に、身分の隔たった高貴な人を慕う自分をよそえている。「雲の上」は宮中を思わせる語で、後撰和歌集には、醍醐天皇の皇女である女四の親王に贈った歌として、小異のある形で見える。
作者の「九条右大臣」は藤原師輔である。関白藤原忠平の次男で、右大臣に至り、九条流の祖となった。娘の安子は村上天皇の中宮となり、子の伊尹や兼家はのちに摂政となった。
初句「沢にのみ」は、沢でばかり、の意で、低い身分にあることを暗示している。結句の「雲の上にのみ」と「のみ」を重ねて対照させている。
二句「年は経ぬれど」は、年は過ごしてきたけれど、の意で、「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形である。
三句「葦鶴の」は、葦辺にいる鶴の、の意で、作者自身をよそえている。
四句「心は雲の」は、心は雲の、の意である。
結句「上にのみこそ」は、上ばかりにあるのだ、の意で、「こそ」の結びを省いた言いさしの形である。「雲の上」は宮中や、高貴な人のいる所をいう。
あしたづ:葦鶴。葦辺にいる鶴
くものうへ:雲の上。宮中、高貴な人のいる所
- 作者
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藤原師輔
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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七夕も逢ふ夜ありけり天の川 この渡りには渡る瀬もなし
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大空は曇らざりけり神無月 時雨心地は我のみぞする