いつとてか我が恋やまむちはやぶる
浅間の嶽の煙絶ゆとも
- 歌の意味
-
いつになったら私の恋はやむというのだろうか。たとえ神の宿る浅間山の煙が絶えることがあっても、私の恋はやむことがない。
- 鑑賞
-
巻第十一 恋歌一 656
詞書は前の歌に続き「題しらず」
たとえ浅間山の噴煙が絶えることがあっても、自分の恋はいつやむことがあろうかと詠む歌である。絶えることのない浅間山の煙を引き合いに出し、それ以上に尽きることのない恋の思いを強調している。山の煙は、恋の「思ひ」の火を連想させるものでもある。
初句「いつとてか」は、いつといって、の意で、係助詞「か」は反語を表し、二句の「む」の連体形で結ぶ係り結びである。
二句「我が恋やまむ」は、私の恋がやむだろうか、いややまない、の意で、ここで句切れとなる二句切れの歌である。
三句「ちはやぶる」は、本来「神」にかかる枕詞で、ここでは神の山である浅間の嶽にかけている。
四句「浅間の嶽の」は、信濃国の浅間山の、の意である。
結句「煙絶ゆとも」は、煙が絶えても、の意で、「とも」は逆接の仮定を表す。倒置して二句に返っている。
あさまのたけ:浅間の嶽。信濃国の浅間山。煙を上げる山として詠まれる
けぶり:煙
- 作者
-
よみ人しらず
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
よそながら逢ひ見ぬほどに恋ひ死なば 何にかへたる命とか言はむ
- 次の歌
-
大原の神も知るらむ我が恋は 今日氏人の心やらなむ