- 歌の意味
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大原野の神も、きっと知っているだろう、私の恋は。今日の祭りの日には、氏人である私の心を晴らしてほしい。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 657
詞書「大原野祭の日、榊に挿して女のもとにつかはすとて」
大原野の神も私の恋を知っているだろう、祭りの今日は氏人である私の心を晴らしてほしいと詠む歌である。詞書から、藤原伊尹が大原野祭の日に、榊に挿して女のもとに贈った歌とわかる。大原野神社は藤原氏の氏神を祭る社で、藤原氏の一員として神に願う形をとりながら、女に恋を受け入れてほしいと訴えている。次歌の第六百五十八首がこの歌への返しで、第六百五十九首とともに恋を知る神を詠む歌が続く。
作者の「一条摂政」は藤原伊尹である。右大臣藤原師輔の長男で、摂政太政大臣に至った。諡は謙徳公で、百人一首の「あはれとも」の歌で知られる。
初句「大原の」は、大原野の、の意で、山城国の大原野神社をいう。
二句「神も知るらむ」は、神も知っているだろう、の意で、「らむ」は現在推量の助動詞である。ここで句切れとなる二句切れの歌である。第六百五十九首の二句「神ぞ知るらん」と同じ言い回しである。
三句「我が恋は」は、私の恋は、の意で、二句の目的語を倒置して示している。
四句「今日氏人の」は、今日の祭りに集う氏人の、の意で、藤原氏の一員である作者自身を指している。
結句「心やらなむ」は、心を晴らしてほしい、の意で、「心やる」は気を晴らす意、「なむ」は他に対する願望を表す終助詞である。
うぢびと:氏人。同じ氏に属する人。ここでは藤原氏の人
こころやる:心遣る。気を晴らす、心を慰める
おほはらのまつり:大原野祭。藤原氏の氏神を祭る大原野神社の祭り
- 作者
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藤原伊尹
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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いつとてか我が恋やまむちはやぶる 浅間の嶽の煙絶ゆとも
- 次の歌
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榊葉の春さす枝のあまたあれば とがむる神もあらじとぞ思ふ