我こそや見ぬ人恋ふる病すれ
あふひならでは止む薬なし
- 歌の意味
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私こそは、まだ見たこともない人を恋い慕うという病にかかっている。逢う日でなくては、この病の治る薬はない。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 665
詞書は前の歌に続き「題しらず」
自分こそ見たこともない人を恋い慕う病にかかっている、逢う日でなくてはこの病を治す薬はないと詠む歌である。恋を病にたとえ、その病を治すただ一つの薬は逢うことだとして、「あふひ」に「逢ふ日」と植物の「葵」を掛け、薬の縁で詠んでいる。第六百二十九首の「見ぬ人の恋しき」と同じく、見ぬ人への恋を詠む。
初句「我こそや」は、私こそは、の意で、係助詞「こそ」は三句の已然形「すれ」で結ぶ係り結びである。
二句「見ぬ人恋ふる」は、見たことのない人を恋い慕う、の意で、第六百二十九首の初句「見ぬ人の」と同じく、見ぬ人への恋をいう。
三句「病すれ」は、病にかかっている、の意で、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「あふひならでは」は、「あふひ」が「逢ふ日」と植物の「葵」を掛ける掛詞で、「ならでは」は、〜でなくては、の意を表す。
結句「止む薬なし」は、治る薬はない、の意である。三句の「病」と「薬」「止む」は縁語である。
あふひ:「逢ふ日」と、植物の「葵」を掛ける
やまひ:病
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
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玉垂れのすける心と見てしより つらしてふことかけぬ日はなし
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玉江漕ぐ菰刈舟のさしはへて 波間もあらば寄らむとぞ思ふ