み熊野の浦の浜木綿百重なる
心は思へど直に逢はぬかも
- 歌の意味
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熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、心では幾重にも思っているけれど、じかに逢うことはできないことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 668
詞書は前の歌に続き「題しらず」
熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なるように、心では幾重にも思っているけれど、じかには逢えないことだと詠む歌である。上の句を序詞とし、葉が幾重にも重なる浜木綿に、重なり積もる恋の思いをよそえている。前の二首に続き、海辺の景物を用いている。万葉集の巻四に柿本人麻呂の歌として見え、三句に小異がある。
作者の「柿本人麿」は柿本人麻呂である。持統天皇、文武天皇の時代に仕えた宮廷歌人で、歌聖と称される。
初句「み熊野の」は、熊野の、の意で、「み」は美称である。熊野は紀伊国の地名である。
二句「浦の浜木綿」は、浦に生える浜木綿、の意である。
三句「百重なる」は、幾重にも重なる、の意で、ここまでが四句の「心」の思いの重なりを導く序詞である。
四句「心は思へど」は、心では思っているけれど、の意で、「ど」は逆接を表す。
結句「直に逢はぬかも」は、じかには逢えないことだ、の意で、「かも」は詠嘆を表す。
はまゆふ:浜木綿。海辺に生える草。葉が幾重にも重なる
ももへ:百重。幾重にも重なること
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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みるめ刈る海人とはなしに君恋ふる 我が衣手の乾く時なき
- 次の歌
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朝な朝なけづれば積もる落ち髪の 乱れて物を思ふころかな