生ふれども駒もすさめぬあやめ草
かりにも人の来ぬがわびしさ
- 歌の意味
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生えていても馬さえ見向きもしないあやめ草は刈る人もないが、そのように、かりそめにもあの人が訪ねて来ないのがつらいことだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 768
詞書「題しらず」
生えていても馬さえ見向きもしないあやめ草は刈る人もいない、そのようにかりそめにも人が訪ねて来ないのがつらいと詠む歌である。「かり」に草を「刈り」と「仮に」を掛け、顧みられないあやめ草に、相手に訪ねてもらえない自分を重ねている。前歌の第七百六十七首とともにあやめ草を詠む歌である。
作者の「みつね」は凡河内躬恒である。古今和歌集の撰者の一人で、三十六歌仙に数えられる。百人一首の「心あてに折らばや折らむ初霜の」の歌で知られる。
なお本文の二句は「すさめぬ」とあり、読み仮名の行の「すさへぬ」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「生ふれども」は、生えているけれども、の意で、「ども」は逆接を表す。
二句「駒もすさめぬ」は、馬さえも好まない、の意で、「すさむ」は心を寄せる、好む意である。読み仮名の行は「すさへぬ」とする。
三句「あやめ草」は、菖蒲で、前歌の第七百六十七首の三句「あやめ草」と同じ句である。ここまでが四句の「かり」を導いている。
四句「かりにも人の」は、「かり」があやめ草を「刈り」と、「仮に」を掛ける掛詞で、かりそめにもあの人が、の意である。
結句「来ぬがわびしさ」は、訪ねて来ないのがつらいことだ、の意で、体言止めで嘆きを込めている。
こま:駒。馬
すさむ:心を寄せる、好んで賞美する
かり:草を「刈り」の意と、「仮に」の意を掛ける
- 作者
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凡河内躬恒
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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いつかとも思はぬ沢のあやめ草 ただつくづくとねこそ泣かるれ
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蚊遣り火は物思ふ人の心かも 夏の夜すがら下に燃ゆらん