今日さへやよそに見るべき彦星の
立ちならすらん天の川波
- 歌の意味
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今日までも、よそごととして見ていなければならないのだろうか。彦星が立ち慣れて渡っているであろう天の川の波を。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 772
詞書は前の歌に続き「題しらず」
七夕の今日までも、彦星が渡り慣れているであろう天の川の波を、よそごととして見ていなければならないのかと詠む歌である。年に一度の逢瀬が許される七夕の日にさえ、自分は恋しい人に逢えず、他人の逢瀬を眺めるほかない嘆きを表している。前歌の第七百七十一首が織女を詠んだのに対し、この歌は彦星を詠み、七夕の二星で対をなしている。
初句「今日さへや」は、今日までも、の意で、「さへ」は添加、係助詞「や」は二句の連体形「べき」で結ぶ係り結びである。
二句「よそに見るべき」は、よそごととして見ていなければならないのか、の意で、前歌の第七百七十一首の三句「よそながら」と、よそに見る嘆きを共有している。
三句「彦星の」は、牽牛星の、の意で、前歌の四句「七夕つめの」と対をなしている。
四句「立ちならすらん」は、立ち慣れて渡っているであろう、の意で、「らん」は現在推量の助動詞である。
結句「天の川波」は、天の川の波で、体言止めである。
ひこぼし:彦星。牽牛星
たちならす:立ち慣らす。いつも行き来して慣れる
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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思ひきや我が待つ人はよそながら 七夕つめの逢ふを見むとは
- 次の歌
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わびぬれば常はゆゆしき七夕も うらやまれぬるものにぞありける