我が背子をきませの山と人は言へど
君も来まさぬ山の名ならし
- 歌の意味
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私の夫に「来ませ」と言う名の山だと人は言うけれど、あなたも来てくださらない。名ばかりの山であるらしい。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 818
詞書「題しらず」
「来ませ」の名をもつ山だと人は言うが、あなたは来てくれないので名ばかりの山であるらしいと詠む歌である。山の名に「来ませ」の意を読み取り、名と違って訪れてくれない夫を恨む心を、機知をこめて詠んでいる。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれ、三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌が人麻呂の作として多く収められている。
初句「我が背子を」は、私の夫を、の意である。次歌の第八百十九首の初句と同じ句で、二首が並んでいる。
二句「きませの山と」は、「きませ」が、夫に「来ませ」と呼びかける意と、山の名を掛ける掛詞である。
三句「人は言へど」は、人は言うけれど、の意で、字余りの句である。
四句「君も来まさぬ」は、あなたも来てくださらない、の意である。二句の「きませ」と同じ語を打消の形で重ね、名と実の食い違いを示している。
結句「山の名ならし」は、名ばかりの山であるらしい、の意で、「ならし」は「なるらし」の約まった形で推定を表す。次歌の第八百十九首が、山の名の「ならし」と同じ音を詠み込んでいる。
きませのやま:夫に「来ませ」と呼びかける意を名に持つ山として詠まれる。「来ませ」と山の名を掛ける
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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眺めやる山辺はいとど霞みつつ おぼつかなさのまさる春かな
- 次の歌
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我が背子をならしの岡の呼子鳥 君呼び返せ夜の更けぬ時