秋の田の穂の上に置ける白露の
消ぬべく我は思ほゆるかな
- 歌の意味
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秋の田の稲穂の上に置いている白露が消えるように、私は消え入りそうなほどに恋しく思われることよ。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 835
詞書は前の歌に続き「題しらず」
秋の田の稲穂に置いた白露のように、私は消え入りそうなほど恋に思い沈むと詠む歌である。上の句の稲穂の白露が序詞となり、はかなく消える露に、身も消えそうなほどの恋の苦しさを重ねている。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれ、三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌が人麻呂の作として多く収められている。
万葉集巻十に類歌が収められている。
初句「秋の田の」は、秋の田の、の意である。次歌の第八百三十六首が稲を刈る田を詠み、秋の田を共有している。
二句「穂の上に置ける」は、稲穂の上に置いている、の意である。
三句「白露の」は、白露が消えるように、の意で、初句からここまでが「消ぬ」を導く序詞となる。前歌の第八百三十四首の三句「白露を」と、白露を共有している。
四句「消ぬべく我は」は、消えてしまいそうに私は、の意で、「べく」は推量の助動詞「べし」の連用形である。
結句「思ほゆるかな」は、思われることよ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。前歌が白露になりたいと願うのに対し、この歌は白露のように消え入りそうだと詠み、二首が対をなしている。
く:消。消える
おもほゆ:思ほゆ。自然に思われる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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うらやまし朝日に当たる白露を 我が身と今はなすよしもかな
- 次の歌
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住吉の岸を田に掘り蒔きし稲の 刈るほどまでも逢はぬ君かな