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かつ見つつ影はなれゆく水の面に
かく数ならぬ身をいかにせん

歌の意味
目の前に見ていながら、お姿が遠ざかっていく。その水の面に数を書くようにはかない、このように数にも入らない我が身を、どうしたらよいのだろうか。
鑑賞
巻第十四 恋歌四 879

詞書「天暦の御時、承香殿の前を渡らせ給ひて、異御方に渡らせ給ひければ」
 目の前を通りながら遠ざかっていく帝の姿を、水面から離れてゆく影にたとえ、このように数にも入らない我が身をどうしたらよいのかと嘆く歌である。帝の寵愛が他の女御に移っていくことを、目の当たりにしながらどうすることもできない悲しみが詠まれている。
 詞書によれば、村上天皇が、作者の住む承香殿の前を通り過ぎて、他の女御の御殿へお渡りになったときの歌である。自分の御殿の前を素通りされる屈辱と寂しさが、控えめな言葉の中に込められている。
 作者の「斎宮女御」は徽子女王である。醍醐天皇の皇子重明親王の娘で、斎宮を務めたのち村上天皇の女御となり、規子内親王を産んだ。承香殿に住み、承香殿女御とも呼ばれた。三十六歌仙に数えられる。

 初句「かつ見つつ」は、一方では見ていながら、の意で、「つつ」は継続を表す。目の前を通り過ぎていく帝の姿を見ている作者を示している。
 二句「影はなれゆく」は、姿が遠ざかっていく、の意である。帝の姿を水に映る影にたとえ、離れていく寵愛を表している。本巻の第八百七十五首の結句「影や見ゆると」と、水に映る影を詠む点を共有している。
 三句「水の面に」は、水面に、の意である。水の面に数を書くという、はかない行いを導いている。
 四句「かく数ならぬ」は、このように数にも入らない、の意で、「かく」は水に数を「書く」意と、このように、の意の「斯く」を掛けた掛詞である。前歌の第八百七十八首の四句「数かくばかり」と、「数」と「かく」の組み合わせを共有している。
 結句「身をいかにせん」は、我が身をどうしたらよいのだろうか、の意で、「ん」は推量の助動詞である。途方に暮れる思いで結んでいる。

かく:水に数を「書く」意と、このようにの意の「斯く」を掛ける
ことおほんかた:異御方。ほかの女御のおられる所
作者
徽子女王
出典
拾遺和歌集
前の歌
人知れず落つる涙の積もりつつ 数かくばかりなりにけるかな
次の歌
さを鹿の爪だにひちぬ山川の あさましきまでとはぬ君かな