行く水の泡ならばこそ消えかへり
人の淵瀬を流れても見め
- 歌の意味
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流れゆく水の泡であるならばこそ、消えたり浮かんだりしながら、あの人の心の淵や瀬を流れて見届けもしようが。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 882
詞書は前の歌に続き「題しらず」
もし私が流れる水の泡であったなら、消えたり浮かんだりしながら、あの人の心の深い所も浅い所も流れて確かめもできようが、そうもできないと嘆く歌である。相手の心の移り変わりを知りたいのに知るすべもないもどかしさを、水の泡になぞらえて詠んでいる。
初句「行く水の」は、流れてゆく水の、の意である。前の水を詠む歌を受け、ここでは流れる水を詠んでいる。
二句「泡ならばこそ」は、泡であるならばこそ、の意で、「ならば」は仮定を表す。係助詞「こそ」は結句の「見め」で結ばれる。
三句「消えかへり」は、消えては浮かび、また消え入るほどに思い悩みながら、の意である。泡のはかなさと、恋に身も消え入る思いを重ねている。
四句「人の淵瀬を」は、あの人の淵や瀬を、の意で、深い淵と浅い瀬を、相手の心の深さ浅さや移り変わりにたとえている。
結句「流れても見め」は、流れていって見もしようが、の意で、二句の係助詞「こそ」を受けて、推量の助動詞「む」の已然形「め」で結んでいる。泡ではない身にはそれもかなわないという嘆きが言外にこめられている。
きえかへる:消え返る。消えてはまた現れる。消え入るほどに思い悩む
ふちせ:淵瀬。川の深い所と浅い所。人の心や世の移り変わりのたとえ
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
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あさましや木の下陰の岩清水 幾その人の影を見つらん
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津の国の堀江の深く思ふとも 我は難波のなにとだに見ず