津の国の生田の池のいくたびか
つらき心を我に見すらん
- 歌の意味
-
津の国の生田の池の名のように、幾たび、あの人はつれない心を私に見せるのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十四 恋歌四 884
詞書は前の歌に続き「題しらず」
津の国の生田の池の名から「いくたび」を導き、あの人はいったい幾たび、つれない心を私に見せるのだろうかと嘆く歌である。繰り返される相手の冷淡さに傷つく心を、地名の響きに託している。
前歌に続き、初句を「津の国の」とする一連の二首目である。
初句「津の国の」は、摂津国の、の意で、前歌の第八百八十三首と同じ初句である。
二句「生田の池の」は、摂津国の生田にある池の、の意である。初句と二句が、同音の「いくたび」を導く序詞となっている。
三句「いくたびか」は、幾たび、何度、の意で、「か」は疑問の係助詞である。
四句「つらき心を」は、薄情な心を、の意である。本巻の第八百六十八首の「人やつらき」と、相手のつらさを嘆く点を共有している。
結句「我に見すらん」は、私に見せるのだろうか、の意で、係助詞「か」を受けて現在推量の助動詞「らん」の連体形で結んでいる。
いくた:生田。摂津国の地名
つらし:辛し。薄情だ。冷淡だ
- 作者
-
よみ人しらず
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
津の国の堀江の深く思ふとも 我は難波のなにとだに見ず
- 次の歌
-
津の国の難波わたりに作るなる こやといはなん行きて見るべく