難波人葦火焚く屋は煤たれど
おのが妻こそ常めづらなれ
- 歌の意味
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難波の人が葦火を焚く家は煤けているけれども、自分の妻こそはいつ見ても新鮮でいとおしいものだ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 887
詞書は前の歌に続き「題しらず」
難波の人が葦を燃やす家は煤けて黒ずんでいるが、自分の妻だけはいつまでも新鮮でいとおしいと詠む歌である。煤けた家と変わらぬ妻への愛情を対比させ、長年連れ添った妻への素朴な愛を詠んでいる。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれ、三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌が人麻呂の作として多く収められている。
万葉集巻十一に、三句と結句を「煤してあれど」「常めづらしき」とする類歌が収められている。
初句「難波人」は、難波に住む人、の意である。前の津の国の一連に続き、難波を詠む歌である。
二句「葦火焚く屋は」は、葦を燃やす家は、の意である。難波は葦の名所で、葦を燃料とした。前歌の第八百八十六首の「まろや」に続いて、家を詠んでいる。本巻の第八百五十三首の「葦分け小舟」と、葦の景物を共有している。
三句「煤たれど」は、煤けているけれども、の意で、「ど」は逆接を表す。
四句「おのが妻こそ」は、自分の妻こそは、の意で、係助詞「こそ」が強調している。
結句「常めづらなれ」は、いつも新鮮でいとおしい、の意で、係助詞「こそ」を受けて、形容動詞「めづらなり」の已然形「めづらなれ」で結んでいる。三句の煤けた家と、変わらず新しい妻とを対比している。
あしび:葦火。葦を燃やす火
すすたる:煤垂る。煤けて黒くなる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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旅人の茅刈り覆ひ作るてふ まろやは人を思ひ忘るる
- 次の歌
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住吉の岸に生ひたる忘れ草 見ずやあらまし恋は死ぬとも