古典和歌stream

恋ひて死ね恋ひて死ねとや我妹子が
我が家の門を過ぎて行くらん

歌の意味
恋い焦がれて死ね、恋い焦がれて死ねというのか、いとしいあの子は私の家の門の前を素通りして行くようだ。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 936

詞書は前の歌に続き「題しらず」
 恋い焦がれて死ねというのだろうか、いとしいあの子が私の家の門の前を素通りして行く、と詠む歌である。立ち寄りもせずに行き過ぎる恋人の姿に、恋い死にせよと突き放されたように感じる男の嘆きを詠んでいる。
 作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれ、三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌が人麻呂の作として多く収められている。
 万葉集巻十一に、初句と二句を「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」とする類歌が収められている。

 初句「恋ひて死ね」は、恋い焦がれて死んでしまえ、の意である。前歌の第九百三十五首の「死に」を受け、恋死の一連の二首目となっている。
 二句「恋ひて死ねとや」は、初句をそのまま繰り返して、恋い焦がれて死ねというのか、の意となる。繰り返しによって、突き放された思いを強めている。係助詞「や」が結句と係り結びをなしている。
 三句「我妹子が」は、いとしいあの子が、の意である。
 四句「我が家の門を」は、私の家の門の前を、の意で、八音の字余りである。
 結句「過ぎて行くらん」は、素通りして行くのだろう、の意で、現在推量の助動詞「らん」の連体形で二句の「や」を受けて結んでいる。

わぎもこ:我妹子。男性が妻や恋人の女性を親しんで呼ぶ語
かど:門。家の門、門口
作者
柿本人麻呂
出典
拾遺和歌集
前の歌
恋するに死にするものにあらませば 千たびぞ我は死にかへらまし
次の歌
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の 道行き人に言伝もなき