あはれとも言ふべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな
- 歌の意味
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私のことを気の毒だと言ってくれそうな人は思い浮かばないまま、私はきっとむなしく死んでしまうにちがいないなあ。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 950
詞書「もの言ひ侍りける女の、後につれなく侍りて、さらに逢はず侍りければ」
私をかわいそうだと言ってくれそうな人も思い浮かばないまま、むなしく死んでしまうにちがいない、と詠む歌である。恋人に見捨てられた孤独と絶望を、自らの死を思うという形で訴え、相手の同情を誘おうとしている。
詞書によれば、言い寄っていた女が後になってつれなくなり、まったく逢ってくれなくなったので詠んだ歌である。百人一首にも第四十五番として採られ、作者の代表歌として名高い。
作者の「一条摂政」は藤原伊尹である。藤原師輔の長男で、摂政太政大臣に至った。和歌に優れ、後撰和歌集の撰進の際には和歌所の別当を務めた。没後、謙徳公と諡された。
初句「あはれとも」は、気の毒だとも、の意である。本巻の第九百二十六首の四句「あはれと君を」と、「あはれ」の語を共有している。
二句「言ふべき人は」は、言ってくれそうな人は、の意で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形である。次歌の第九百五十一首の四句「言ふ人のなき」と、自分に言葉をかけてくれる人がいない嘆きを共有している。
三句「思ほえで」は、思い浮かばないで、の意で、「で」は打消の接続助詞である。
四句「身のいたづらに」は、我が身がむなしく、の意で、死ぬことを婉曲に言っている。
結句「なりぬべきかな」は、きっとなってしまうにちがいないなあ、の意で、「ぬべき」は強い推量、「かな」は詠嘆を表す。
おもほゆ:思ほゆ。自然に思われる、思い浮かぶ
いたづらになる:むなしくなる。ここでは死ぬこと
- 作者
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藤原伊尹
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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あさましや見しかとだにも思はぬに 変はらぬ顔ぞ心ならまし
- 次の歌
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さもこそはあひ見むことの難からめ 忘れずとだに言ふ人のなき