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春来れば滝の白糸いかなれや
むすべども猶あわに見ゆらん

歌の意味
春が来ると、滝の白糸はどうしたことだろうか。糸として結ぼうとしても、水として手にすくっても、やはり泡のように淡くはかなく見えるのだろう。
鑑賞
巻第十六 雑春歌 1004

詞書「延喜十五年斎院屏風歌」
 春が来て、滝の白糸は、結ぼうとしても手にすくおうとしても、なお泡のようにはかなく見えるのはどうしたことかと詠む歌である。詞書から、延喜十五年に、賀茂の斎院のために作られた屏風に添えた歌とわかる。滝の流れを白い糸に見立て、糸を「結ぶ」と水を「掬ぶ」、水の「泡」と糸の「淡」を掛けて、雪解けで勢いを増した春の滝の姿を描いている。前歌の第千三首に続き、春の滝を詠む歌である。
 作者の紀貫之は、古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。

 初句「春来れば」は、春が来ると、の意で、「ば」は已然形について、いつもそうなる条件を表す。
 二句「滝の白糸」は、滝の流れを白い糸に見立てた語である。前歌の第千三首の四句「滝の音にや」と、滝を詠む点で並んでいる。
 三句「いかなれや」は、どうしたことか、の意で、「や」は疑問を表し、結句の「らん」と呼応している。
 四句「むすべども猶」は、結んでも、すくっても、やはり、の意で、「むすぶ」は糸を「結ぶ」と水を「掬ぶ」を掛ける掛詞であり、「ども」は逆接の接続助詞である。
 結句「あわに見ゆらん」は、泡のように淡く見えるのだろうか、の意で、「あわ」は水の「泡」と糸の「淡」を掛ける掛詞であり、「らん」は原因を推量する助動詞である。二句の「白糸」と四句の「結ぶ」は縁語をなしている。

むすぶ:糸を「結ぶ」意と、水を手で「掬ぶ(すくう)」意を掛ける
あわ:水の「泡」と、薄くはかない意の「淡」を掛ける
たきのしらいと:滝の白糸。滝の流れを白い糸に見立てた語
作者
紀貫之
出典
拾遺和歌集
前の歌
年月の行方も知らぬ山がつは 滝の音にや春を知るらん
次の歌
飽かざりし君がにほひの恋しさに 梅の花をぞ今朝は折りつる